滝尻王子〜近露王子
山のみち
世界遺産の熊野古道・中辺路を歩きます。起点の滝尻王子から熊野本宮大社までは約40キロ。レコーダーを片手に、時には音を録りながらの山歩きです。千年の歴史をもつ山の道で、見える景色と聴こえる音。
歩き始めは、滝尻王子。
五体王子のひとつで、ここから先が熊野の霊域だと言われている。
まずは参拝。
五体王子とは、熊野古道の紀伊路と中辺路沿いに祀られた九十九王子のうちで、特に格式の高い神社のこと。王子社には熊野権現の御子神(みこがみ)が祀られており、熊野詣での人々は道中の安全を王子社に祈願しながら旅を続けたそうだ。
社殿の裏にまわると古道の入り口があり、苔むした岩やうっそうとした森が神秘的な雰囲気を強烈に醸し出していた。いかにも、な感じ。
いきなり急な山道だが、まだ歩き始めなので大丈夫。10分ほど登ると、「胎内くぐり」の大きな岩に着いた。あちこちでよく紹介されているが、一応、体験しておく。岩と岩の隙間はかなり狭いのでぎりぎり。これ以上太っていたら、不可能だった。
生まれたばかりの赤子が岩と狼に守られて 育っていた、という伝説の乳岩も通過。
不寝(ねず)王子、剣ノ山経塚跡を経てさらに歩くと、高原(たかはら)の集落に到着した。標高330メートルの高地で、かつては多くの旅籠が軒を連ねていたそうだ。
休憩所の前からは、果無(はてなし)山脈が一望できた。うっとり見とれてしまうが、近露まではまだ8キロ余りあるので足早に出発する。
十丈峠を越えて、小判地蔵へ。小さなお地蔵さんなので、うっかりしていると見過ごしていまいそう。傍らの案内板には「飢えと疲労のために、小判をくわえたまま、ここで倒れたという巡礼を弔ってまつられたものである」と記されていた。嘉永七年七月十八日と、命日まできちんと刻まれている。
小判をくわえていたのは飢えのためだと伝えられているけれど、「この小判で供養してほしい」という意味にも考えられると思う。「行き倒れになると、里の人たちに迷惑をかける。埋葬する時の、 せめてもの足しにしてほしい」という気持で小判をくわえたのかもしれない。昔の旅は人の情けにすがるしかなかったし、助け合うのが当然だったんじゃないかな。
悪四郎山、三体月など、伝説の地を通り抜けて、ようやく逢坂峠。ここからの下りがしんどかった。そもそも逢坂(おおさか)は大坂と書いたそうで、「急な坂」を意味したという。
下りきった大阪本王子で、へなへなと座りこむ。
気力をふりしぼって箸折峠。牛馬童子を過ぎて、ようやく近露(ちかつゆ)の集落に到着。山間の集落にしてはぽっかり開けた空間にあり、どことなく優雅な雰囲気の漂うところだ。
滝尻王子からの所要時間は、6時間半。初心者にはけっこうキツかった。