大日越
山のみち
世界遺産の熊野古道・中辺路を歩きます。起点の滝尻王子から熊野本宮大社までは約40キロ。レコーダーを片手に、時には音を録りながらの山歩きです。千年の歴史をもつ山の道で、見える景色と聴こえる音。
熊野古道・大日越(だいにちごえ)は、湯の峯温泉と熊野本宮大社を結ぶ湯垢離(ゆごり)の道として古代から利用されてきた。
湯登神事の日、稚児を肩車した父親たちが汗だくで越える道だ。
湯の峯からの登り口は東光寺の裏手から入っていく。このあたりは天然記念物「ユノミネシダ」の自生地で、湯の峯が日本の北限なのでシダ・マニアにもおすすめ。
登り始めから、すぐに息切れ。
岩に囲まれた狭い道で、足もとに奇妙に凹んだ石を発見した。蟻の熊野詣での昔から、ここしか足場がなかったのだろう。
悠久の歴史を感じながら、先人たちの足跡を踏んでみる。
峠近くで現れたのは鼻欠け地蔵なのだが、顔も欠けているし案内板も欠けていた。ここには、鼻をそがれた男の身代わりに地蔵さんが自分の鼻を差し出した、という伝説が残っている。彫られているのは座像と立像の二体。苔の緑が、木の根道にしっとりと溶け込んで美しい。
しばらく尾根歩きを楽しんでいると、道沿いに「妖怪ヌリカベ」もどきの石が立っていた。南北朝時代の念仏供養塔で、「南無阿弥陀仏」と刻まれているそうだ。
ヌリカベを後にして、樹齢数百年といわれる杉、檜の間をぬけていく。幹が赤いのは、熊野本宮大社の屋根を葺くために樹皮を剥ぎ取ったからだとか。
木立を抜けた先には、さらに神秘的な気配が漂っていた。片隅にある小さな祠は、暦を数える神を祀る月見ヶ丘神社。祠の前には真っ白な手向け石がいくつも供えられている。聖なる霊力を宿し、今まさに生まれようとする卵のような。
急な下りに入ったところで、左手に突如、磐座(いわくら)が……。階段をのぼって洞穴をのぞくと祭祀跡のようだった。熊野信仰の起源は、森の民の自然崇拝なのだとあらためて実感する。
階段状の坂道をへっぴり腰で下って行くと、右手に蛇行する熊野川が望めた。本宮大社の旧社地・大斎原(おおゆのはら)にそびえる大鳥居もちらっと遠望。(熊野本宮大社の社殿はそもそもは大斎原に鎮座していたのだが、明治の水害で高台に移転している)
かつて、都から歩いて来た人たちが見たのは、どんな風景だったのか。社殿を望めたのならば、感極まって涙したかもしれない。道中、神聖な気配に煽られ続け、気持がピークに達した頃に熊野川や社殿が現れるというドラマティックな設定。実によく出来た参詣道だと思う。
歩き始めてから1時間ほどで車道に出たので、モデルコースに従って大斎原を経て熊野本宮大社へ向かった。聖地の中にある聖地で、すべての熊野古道の終着地点だ。パワースポットかどうかはよくわからないが、気持のいい場所であることは確か。