熊野古道・高原から兵生の廃村をめざす
湯の峯温泉に泊まった翌朝、語り部の女性たちと待ち合わせて熊野古道を歩いた。コースは中辺路の滝尻王子から高原(たかはら)まで。距離は4キロ程度だが、尾根まで急坂を一気に登る難所のひとつだ。「ここが一番しんどかったって言う人も結構いますよね」と余裕の笑みで彼女たちが言うので、最年長の私は不安がつのる。(4年前に歩いた時の記事はこちら)
山道を300メートルほど登ったところで、胎内くぐりの大岩が現れた。重なり合う大岩の間を抜けて、上部の小さな隙間から産道を抜けるようにぐぐっと這い出てくるのだが、女性がこれをやると安産になるらしい。4年前は何とかくぐれたたが、私はあれから太ったし、安産祈願なんかも不要である。
「やめとくわ」と言うと「大丈夫。ちょっとどうかな〜と思う大きな方でも、意外と通り抜けますよ!」と励まされる。
「ちょっとどうかな〜」と思いつつ、かなり無理やりな感じだったが通過。くまのプーさんみたいな事件にならずによかった。
急勾配を登りつめると気持ちのいい尾根道が続く。地元の彼女たちから自然や地層、歴史の話を聞きながら歩けるのですごく楽しい。(牛鬼にまつわるディープな話も!)
2時間ほど歩くと高原の里に到着した。高原については「天空の里の物語」で連載したのでここでは詳しく書かないが、標高330メートルに位置する山上の集落だ。
久しぶりに高原熊野神社に参拝して、境内の巨木を見上げる。
4年前はイラストレーターのひろのみずえさんと取材に来たのだが、ひろのさんは、この木から飛ぶガシランボを描いてくれた。
ガシランボっていうのは 高原在住のこんなやつです。(たぶん)
展望抜群の宿「霧の郷たかはら」に到着したのはちょうどお昼頃。オーナーの小竹さんには「みちとおと」の最初にずいぶんお世話になったのだが、以前と変わらずあたたかく出迎えてくださってうれしい。
下の写真は全員が注文した日替わりランチ。地元の山菜や野菜を中心にした小皿料理とメインディッシュが並ぶ。このボリュームにコーヒーまで付いて980円って!?(しかも本当においしいので、わざわざ山の上まで行って食べてください。宿泊もおすすめです)
「調理をされてる森本邦恵さんはお元気ですか」とスタッフの女性に聞くと「今日はお休みなんですけど、山菜料理はいつも森本さんが作ってくれてます」とのこと。「熊野の山は私の命のみなもとです」と語ってくれた声を思い出しながら、懐かしい気持ちでいただいた。
(森本邦恵さんの声はこちらで聞けますよ)
ここで彼女たちと別れ、兵生(ひょうぜ)の廃村を目指す。実は今回、「里のみち」で取り上げた3つの集落をまわり、それぞれの地主神にお参りしようと決めていた。大瀬の馬頭観音、高原の高原熊野神社を終えたので、残るは兵生の春日神社である。
山を下りて311号線を本宮方面に走る。巨木の骸骨みたいな大イチョウを見て左折。富田川に沿って流れをさかのぼっていくと、細くて荒れた道になり「そうそう、こんな感じだった」と思い出しながらハンドルをきる。
兵生を取材して「消えた里の物語」を連載していた当時も確かに悪路ではあった。が、これほど荒れてはいなかった。途中、絶句するほどの悪路っぷり。落石をよけ、湧き水を跳ね飛ばし、崩れた路肩をそろりとかわし、根性だめしのような道を進んでも集落跡と春日神社は現れない。ところどころで路面も凍っているし「車で行くのは危険」と判断し、リュックを背負って歩き始めた。
兵生はやはり、山深くて遠い隠れ里だったのだと実感する。「下流の村人たちに存在を気づかれないよう、細心の注意を払って暮らしてきた」と、取材の時に聞いた話を思い出した。
とぼとぼ歩き続けてカーブを曲がったら、こんな感じで、さすがにもう無理です。
携帯はもちろん圏外だし、すでに薄暗くなってきた。
もし遭難して「松若よぉー」と叫んでも、よそ者の私など松若は助けには来てくれまい。
(兵生の松若伝説はこちら)
行き倒れたら、ここでお地蔵さんになるのか。
そう考えておとなの分別で諦めた。(春にまた行くけど)
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