古座川の支流、平井川の最上流部に広がる北海道大学の和歌山研究林。職員の千井芳孝さんがスギの木を伐採するところに立ち会うことができました。スギの木にクサビが打ち込まれ、斜面に横たわるまでの音です。
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串本町古座地区で、古座川を舞台に繰り広げられる河内祭り。源平の戦いに出陣した熊野水軍が、凱旋する様子を現しているという勇壮な水上渡御が見どころです。法螺貝の音や御舟唄の声に、蝉の鳴き声が重なって川面に響き渡ります。
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古座街道の途中、植林の森で聞いた木の音です。木々が風でぐらぐらと揺れてきしむ音。「放置されている植林たちの泣き声のように聞こえる」と書いたのは、熊野の山の民でした。
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日本屈指の清流と言われる古座川。”月の瀬”というロマンティックな地名が残る浅瀬で録ったせせらぎです。地名の由来は夜になると川面に月がよく映るから。深緑色の渕には切ない伝説も残ります。
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高野山の宿坊「恵光院」で早朝に行われた護摩祈祷の音です。パチパチと燃え上がる炎で煩悩を浄める、密教独特の神秘的な儀式。弘法大師•空海が開いてから1200年目の高野山にて。
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2014年冬、12月14日から15日にかけて、宮崎県の山間部にある銀鏡(しろみ)の集落に夜神楽を見に行きました。神と人とが共に楽しむ、神秘的な一夜の宴です。取り憑かれたように毎年通ってくる人を、カグラーと言うそうですよ。
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2014年11月13日11時53分、渋谷駅前で録った音です。まわりにはスマホを見ながら行き交う若者やチラシを配る人たち、ハチ公と記念撮影をする外国人……。妄想の余地もない、音の混沌。
2014年の秋、宮崎県の西米良村(にしめらそん)に取材に行きました。途中、一ツ瀬ダムの近くで録った音ですが、キツツキらしき声が…。このダムの底には集落跡があり、渇水時には小学校も現れるそうです。
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出港から12時間たった朝6時過ぎ。宮崎沖の日向灘(ひゅうがなだ)で、日の出を向かえました。刻々と色づいていく海と空、浮き上がるように弧を描く水平線。その雄大さに思わず見入ってしまいました。
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神戸港を出た宮崎カーフェリーは、紀州と淡路島の間の紀淡海峡を通り抜けて紀伊水道へ。デッキに吹きつける風はますます強くなり、走行音をかき消すこともありました。向こうに見える夜景は、四国か淡路島。月も星もない闇夜の海を行く船の音です。
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10月のとある日曜日、カーフェリーに乗って神戸から宮崎に向かいました。出港時間は18時15分。動きだしたフェリーのデッキで録った音です。市街地の灯りや六甲山のイルミネーションが暮れてゆく空に映えて、まるで映画のような。
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小栗判官(おぐりはんがん)伝説の地、本宮町湯の峯で語り部の安井さんに話を伺いました。小栗判官は中世の口承芸能によって広まった物語。日本の各地、この世とあの世をかけぬける壮大なラブストーリーです。
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請川(うけがわ)の「お滝さん」は、山中にひっそりとある隠れ滝。急な山道を下っていくと、水音と共に幻想のように現れます。落差は20メートルほどで、滝壺は神秘的に透んだ緑色。傍らには、お不動さんが祀られていました。
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本宮町で、イノシシやシカを捕獲して食肉として加工する取組みが始まりました。訪ねたのは大津賀の「ジビエ本宮」。狩猟や解体を学んでいる「狩女」こと手塚さんのお話です。
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牛馬童子(ぎゅうばどうじ)は、熊野古道の箸折峠にある小さな石像です。ここから山道を下ってゆくと、近露の里。この峠からは狐たちが火をともして下りてきたという伝説もあるのです。妄想しながら歩いていると、上空を飛行機が飛んでいきました。
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訪ねたのは熊野川沿いの小さな集落、小津荷(こつが)です。ここではかつて、女性たちの副業として紙漉きが行われ「音無紙」(おとなしがみ)の名で知られていたとか。途切れてしまった伝統産業を復活させた地域の皆さんに話を伺いました。
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山の斜面に家々が点在する竹筒(たけとう)の集落に、大槻さんを訪ねました。獣害の影響などで荒廃する森林の現状を教えてもらうことができました。紀伊半島に本来あったはずの生態系を取り戻すことを、真剣に考えねばと思います。
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「霧の郷たかはら」に泊めていただいた日、森本邦恵さんに出会いました。その時、森本さんが言われた「私ら山の民はね…」という言葉にとても心をひかれ、「次回はゆっくり話を聴かせてください」とお願いしたのです。
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継桜王子の少し下に、古来から一度も涸れたことがないという岩清水があります。熊野詣での旅人たちもここで喉を潤し、休憩をとったそうです。この日も一体どこから湧いてくるのかと思うほど、勢いよく水があふれて山を下っていきました。
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例年11月3日、熊野古道に沿った近野の里で繰り広げられる獅子舞です。近露王子社での奉納は、勇壮な太鼓や軽やかな笛、華麗でユーモラスな舞が一体となって素晴らしいものでした。伝統芸能を継承しているのは、近野獅子舞団の皆さんです。
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硬く焼きしまった紀州備長炭は、叩くと澄んだ金属音がします。炭焼き職人の宮本有市さんが、発泡スチロールの上に炭を並べて音を聴かせてくれました。長さによって音階も色々で、組み合わせると炭琴(たんきん)と呼ばれる楽器ができるそうです。
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大雨の朝に紀州備長炭発祥の地、秋津川を訪ねました。炭焼き窯の前で話を聞かせてくださったのは、秋津川で最年長の製炭士、宮本有市さんです。激しい雨音が宮本さんのしぶい声に重なって聴こえていました。
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大瀬(おおぜ)は中辺路の裏街道に沿って集落があったところで、平家の里と言われます。ここに伝わる盆踊りは珍しい太鼓踊り。この曲は「おたか」という題で、もっとも早いテンポです。「お庭まいり」「へんよう」も記事の中で聴いてみてください。
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湯登神事の最後は、夕刻に始まる宮渡り神事です。太鼓を叩き、歌いながら御幸道(旧参道)を歩く人々が夕闇に染まって幻想的でした。行列は熊野本宮大社の旧社地、大斎原(おおゆのはら)を経て、真名井社へと向かいます。
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伏拝(ふしおがみ)は熊野古道が通りぬける山里。盆踊りの起源は江戸の中期と伝わり、ゆるやかなテンポでしっとり踊られるものが多いです。この曲は「五尺いよこ」。五尺のてぬぐいを意味し、ホロ棒を持って踊ります。
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兵生(ひょうぜ)の里には、南方熊楠が明治43年と昭和4年に、植物調査に訪れています。兵生出身の西 玉弘さんは、5歳の時に熊楠さんと出会ったとか。熊楠さんは西家の離れに滞在したので、玉弘さんが茶がゆを運んだそうです。びっくり! この音に関する記事はこちら
春から初夏、熊野のあちこちでウグイスの声を聴くことができました。でも杉と檜しかない山の道では、生物の多様な音は聴こえません。植林のために野鳥や昆虫の種類は減っているようです。音を探しながら歩くと、気付かされることが多くありました。
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シシオドシを漢字で書くと「鹿威し」。竹筒に水がいっぱいになると音が出て、鹿や猪、鳥などを追い払う仕組みです。のどかな山村風景ですが、熊野地方も獣害は深刻。森に狼がいた頃は鹿などが増えすぎることもなかったそうです。
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湯登(ゆのぼり)神事は、熊野本宮大社例大祭の前祭。父親に肩車された稚児たちも、お湯で身を浄める湯垢離(ゆごり)のために本宮大社からやってきます。楽人の奏でる太鼓や横笛が、温泉街にゆったりと響いていました。
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兵生(ひょうぜ)の皆さんが集団で移住された地、朝来平(あそだいら)を訪ねました。出迎えてくださったのは、70歳から90歳代の方々。古い白黒写真を見ながら「兵生はええ里やったんやで」と言われたのがとても印象的でした。
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道湯川(どうゆかわ)の廃村には、九十九王子のひとつである湯川王子社が祀られています。かつては熊野詣での要所で、上皇が宿泊するための御所もあったとか。ひっそりした谷間に、川の流れる静かな音だけが聴こえていました。
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稲葉根(いなばね)王子社に立ち寄った時、強かった雨が少し小降りになりました。鎮守の森も十月の雨に洗われて、しっとりと濃い緑色。境内の片隅には濡れそぼった句碑があり、「月一つ神楽のすみし田の上に」と刻まれていました。
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大瀬(おおぜ)の公民館で、地域の方々に話を伺いました。山の中腹にある観音堂のまわりが、昔は大瀬の中心地だったと教えてもらってびっくり。観音堂への道やその周辺は今、うっそうとした植林の森になっています。
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兵生(ひょうぜ)の里、春日神社の秋祭りで餅まきがありました。山奥の廃村にわざわざ出向いて行うお祭りなので、集まったのは15人ほど。「おじいちゃん、でかいの拾った!」と声をはりあげる子どもたちがとても可愛かったです。
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兵生(ひょうぜ)の廃村には、立派な社殿の春日神社が残されています。今年の秋も旧村民の皆さんは故郷に集い、祭を執り行いました。お囃子は笛が二人と太鼓が一人、獅子舞もありました。富田川の最上流、深い山の中に賑やかな音が響いていました。
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熊野古道のねじ木峠に、はるかに海を遠望して立つ杉の老木があります。枝が蛇のように曲がっているのは、安珍を追いかけてきた清姫が無念のあまりにねじ上げたから。海から吹いてくる強い風が、杉の枝をざわざわと揺らしていました。
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高原(たかはら)は、熊野古道の途中にある山上の里です。果無(はてなし)山脈に沈んでゆく夕日に見とれていたら、少しずつ人が集まって盆踊りが始まりました。楽しそうに踊る人々の笑い声が、山々に響いていました。
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奥熊野の山中にある廃村、平治川(へいじがわ)は平家の落人が住み着いた里だと言われます。川沿いの道や山肌には苔むした石垣やお地蔵さんなどがあり、人々が暮らした気配をうっすらと残していました。
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ご詠歌とは神仏に唱える祈りの音楽で、平安時代を起源とする宗教的な伝統芸能です。中辺路沿いに祀られたお地蔵さんのご詠歌を、高原(たかはら)の鈴木トシ子さんと大江幸さんが歌ってくださいました。
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5月の終りに高原(たかはら)の里を訪れたとき、田植えの準備で棚田に水が入っていました。田んぼの片隅にある水車も勢いよく回って、あちこちから蛙の声も聴こえました。四季折々に味わいのある棚田で、何度も通いたくなります。
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福定(ふくさだ)から旧国道の細い山道を行くと、峠のあたりに古びたトンネルが現れます。昭和20年に完成した逢坂(おおさか)隧道で、延長は550メートル。奥へ行くほど真っ暗で、水滴が落ちる音、風の音などが反響しながら聴こえました。
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四村川沿いの渡瀬(わたらせ)で、夜明けに鹿の聴き声を聴きました。高く澄んだ短い声なので、おそらく子鹿。渡瀬の地名の由来は、歩いて渡れる浅瀬があったこと。小さな鹿が水を飲みに来るにも、ちょうどよい河原なのかもしれません。
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