福定の大銀杏から近露方面に旧国道311号線を行く。
曲がりくねった坂道を上っていくと古びたトンネルがあり、名を逢坂(おおさか)隧道という。(熊野古道はこの上を通っている)
高さ4メートル、幅4.5メートル、延長は550メートル。
西側の入り口には「対向できない」と注意を喚起する標識。
…来るのだろうか、対向車。
中辺路町誌によると、福定から逢坂峠を越える車道が開通したのは、昭和3年のこと。
6人乗りのバスも峠を越えたが、木炭バスでは馬力がなくて、急坂では乗客が降りて押した。
昭和15年、逢坂峠の100メートルほど下にトンネルを掘る計画が持ち上がる。
翌16年に工事が始まって、5年後の昭和20年に逢坂隧道が完成した。
昼夜の別なく続けられた工事には、200名ほどの朝鮮人労働者も従事していたそうだ。落盤などの事故で負傷者はあったが、ここでの死者はなかった、と…。
音を録りながら、トンネルの中を歩いてみた。
ゴツゴツした壁面はツルハシで掘ったあと?
ひんやりした風が東の入り口から西の入り口へと吹き抜けていく。
照明がないので奥に進むとまっくら闇で、足もとの窪みには水たまり。
天井からは水滴が落ち、側溝に水が湧いているような音も時おり聴こえた。
当時、隧道工事の責任者は鳥取県出身の近藤愛次郎さんという方で、各地のトンネルを手がけたベテランだった。近藤さんは隧道の完成後、この地に永住することを決意し、西の入り口近くに家を建てて住んでいたそうだ。
「昭和四十年(一九六五年)に八十才で亡くなりましたが、だれよりも強く逢坂トンネルに愛着を持った人でしたので、分骨してトンネルの上の方に埋葬されています」
冊子『ふるさと近野 第1集』(昭和53年 中辺路町立近野小学校発行)に、そう書かれていた。