中辺路町兵生〈1〉廃村探訪(前編)
里のみち
熊野の道は里を結びながら、山中を迷路のようにめぐっています。古老たちの語りや歌、伝説に導かれながら行く里の道。訪ねたのは大瀬(おおぜ)・高原(たかはら)の集落と、兵生(ひょうぜ)の廃村です。
その日、ひろのさんと目指したのは中辺路町山間部の廃村・兵生(ひょうぜ)。伝説「兵生の松若」を生んだ集落だが、昭和49年に廃村となっている。
福定(ふくさだ)から国道をそれて、富田川に沿ってひたすら遡る。
しばらく走ると舗装はなくなって、石もゴロゴロと落ちているが、それなりに車輪のあとがあるので廃道ではないようだ。気持を高ぶらせながら進んでいくと、路肩に一般車両通行止めの立て看板。
2年前の水害であちこち道が崩れたので、このへんもダメかも…と相談し、歩いて行くことにした。邪魔にならないところに車をとめて、リュックを背負って歩きだす。が、行けども行けども兵生らしい集落跡はない。やや不安になりながら30分ほど歩くと登り坂になり、山肌に石垣や、つぶれかけた家、つぶれた家、小さな祠などが現れた。
でも、兵生には立派な社殿をもつ春日神社があるはずだ。「年に一度、元の住民が兵生に戻って今も祭をしています」という、写真入りの記事を読んだことがある。
さらに10分ほど歩く。
前方に、砂利を積んだトラックがとまっていた。車の横では、ヘルメットをかぶった男性がひとり、スコップを持ってもくもくと道路の穴を埋めている。
「こんにちは」と挨拶すると、ぎょっとした顔。
滅多に人と会わないはずの山中なのだから、もしも逆なら私だってぎょっとする。どこへ行くのか、なぜ歩いているのか、車はどこへ置いてきたのか、という質問に答えてから、春日神社の場所を聞いたら、「まだだいぶあるど」と言われてしまう。
その方は半袖姿のひろのさんに目をやると、「そんな恰好で行たらあくかい(あかんやないか)。ハチおるど」と。
そして、トラックの座席をがさごそ探って「持ってけ」と手渡してくれたのが、これ。
「え! ありがとうございます」
びっくりしながら受け取るひろのさん。
男性は「今、何時な?」と時計を見て、「まだ2時になってないな。ほや、ボチボチ行てきたらええわ」と言う。私たちが明るいうちに戻って来られるかどうか、時間を確認してくださったのだ。そして、「鹿も熊もおるさけな。おっきな声でしゃべりもて行かなあかんど」と真顔できっぱり。
「熊、ですか?」
ようやく事態が呑み込めてきた。山の怖さを知らなさすぎるし、無防備すぎたみたい。
「じゃぁ、行ってきます」と言うと、「おとろしよ、おとろしよ、おとろしよ」とぶつぶつ独り言を言いながら見送ってくださった。
ちょっと緊張する。
大きな声でしゃべりながら行けと言われても、私たちは寡黙な職人タイプ。ひろのさんは左手にペットボトル、右手に殺虫剤を持ち「火の用心カチカチ」の脱力形のような動きで音を立てながら歩いていく。そしてふと、「熊が出てきたら、殺虫剤かけたらいいですね」と言った。
「目をねらってください」と答えて、なおも山奥へ。