狐火の里へ
熊野古道沿いの近露(ちかつゆ)は、かつての宿場町。ちょっと変わった地名の由来は…
熊野詣でに訪れた花山法皇(968〜1008)が、箸折峠の茶屋で食事をしようとしたが箸がなかった。そこで箸がわりにしようと萱(かや)を折ったら、軸が赤く染まったので「血か露か」と尋ねた。
山に箸を持参せず、枝を折って使う習慣は、森本邦恵さんも話してくださった。その後、知ったのだが、熊野地方の人が箸を持たずに山に入るのは悪霊のダルなどが依り憑くことを避けるため。古来から「箸には霊がより憑く」と考えられてきたそうだ。ちなみに萱は悪霊を寄せ付けないとされ、好んで箸に使われたという。
それはさておき、狐火である。
「狐の火」に出てくる「かみや」という屋号に心当たりがあったので近露へ確かめに行った。到着したのはちょうどお昼頃だったし、お忙しいかなと思いつつ「田舎ごはんとカフェ・朴」さんに立ち寄る。近露はしっとりと美しい山里なのだが、その雰囲気に調和した佇まいだ。
ランチは玄米ごはんとパンがあり、いつも迷うのだけれど今回はパンをいただく。作ってくれる人を通して、土地の生命力を吸収できるような幸福な味。ほんといいお店です…。
デザートに穀物コーヒーとラズベリー&チョコレートのケーキをいただきながら、店主の中峯さんとスタッフの宍塚さんに、狐火の話を尋ねてみた。
「かみや、って、かめやのことじゃないですか?」と近露育ちの中峯さん。
「わたしもそう思うんですっ」と思わず力む。
「狐の火」は『熊野・中辺路の民話』という聞き書きの本に載っていたのだが、もしかして「かめや」を「かみや」と聞き間違えたのではないかと私は思ったのだ。(わからんけども)
アイターンの宍塚さんにもカッパの伝説を教えてもらった。カッパも面白そう!!
「かめや」とは、熊野古道沿いにある築130年以上たつ民家で古くは旅館であったとか。日本画家、野長瀬晩花の生家でもあり、現在は「ちかの平安の郷かめや」として古道歩きの観光客にも開放されている。
屋敷のまわりを歩いてみたが、お稲荷さんはなかった。箸折峠までまっすぐに街道が続いていて、いかにも狐火の行列が見えそうな場所なのだが。
峠の下に車をとめて、熊野古道を登っていく。しばらく歩いて振り返ると、眼下に近露の集落と日置川が一望できた。狐たちが火をともして下りてきたという山の道。
その時、上空を飛行機が飛んだ。
熊野詣での上皇たちが歩いた道の、ななめ上を。
平安時代の熊野詣では都から往復およそ一ヶ月かかったとか。老いも若きも女も男も、足の裏に血をにじませて歩くしかなかった。その上空を一瞬で飛び去った飛行機の音。
峠に佇む牛馬童子の石像は、まっすぐに森を見つめたまま。
牛と馬にまたがった姿は、花山法皇の熊野行幸を現しているそうだ。
往時から約一千年を経た熊野古道・中辺路にて。
「カフェ朴」さんのご案内はこちら。(「中辺路町商工会」様の記事です)
イラスト:ひろのみずえ