見老津から湯川まで
紀伊半島の海沿いを行く熊野古道・大辺路(おおへち)は、峠をいくつも越えて那智まで続く。途中、長井坂を下ったところにあるのが見老津(みろづ)駅。枯木灘(かれきなだ)を望んで建つ小さな無人駅で、ここからは水平線に沈む夕日が眺められる。
枯木灘は漢字のイメージ通りの荒磯だ。暗い色の海ではないのだけれど、瀬戸内のようにほのぼのとした明るさはない。中上健次さんの小説『枯木灘』の印象が強烈すぎるからかな。
この自然・風土と、紀州人との”抜き差しならない関係”に思いを馳せるなら、見老津駅のベンチがおすすめ。
知人の写真家が「夕暮れの見老津駅で、セーラー服の高校生が電車をおりて歩いて行く写真を撮ってみたい」と言っていた。ちょっと切ないような後ろ姿。「私だったら、おばあさんの後ろ姿がいいけどな」と思いつつ撮る。
「見老津駅の前の砂浜には水晶がある」と聞いたので、海岸に下りて探してみたけれど発見できず。(「周辺の山中から鮫水晶、針水晶と称する小型の水晶石を産する」と200年ほど前の書物にも記録されている)
道路の右側に小さく写っているのが駅舎だ。
見老津の港は古くからケンケン漁と言われるカツオの一本釣り漁で賑わった。アメリカやハワイへの移民も多く、明治・大正期だけで37人。こんな小さな漁業集落から、37人もの村民が外国船に乗って日本を出て行ったんだなと感慨深い。紀州弁しか話せなくても、漁の技術と海があれば生きていけるという絶対的な自信があったのだろう。どこにいても、魚をとって暮らせばよいのだから。
海は平らかに異国へ続いているし、
魚も鳥も自由に行き来しているし、
おいらも渡るで!
と思ったのなら、わかります。
そこから国道を南に約25キロ行くと串本町だ。向かいの紀伊大島にかかる橋を渡ると、岬のはしっこに海金剛と呼ばれる海岸がある。なんとも野生的で、荒削りで、非凡な景観だ。
こういう景色が、普通にシラッと出てくるところが和歌山の凄味だと思う。でもあまり知られていない。見事なまでに人がいなくて感動した。
さらに下って太地町を過ぎて、紀伊半島をぐるっと回り込んだところに湯川駅がある。
改札を抜けて地下道をくぐり、日没が迫るホームに向かって階段を上る。
海とホームの間にあるのは線路だけだ。
文科系の撮りテツ(プラットホーム派)である私は、情緒的な切り口を好む。
ええ感じやん。