百夜月の里へ

美しい尼さんが暮らしたという百夜月(ももよづき)とは、一体どんなところなのだろう。
紅梅寺は今もあるのだろうか。

熊野川町九重(くじゅう)にお住まいの城さんに電話で尋ねてみたところ、「百夜月は水路か空路でないと行けないんです」とのお返事。「じゃぁ無理ですね…」と引き下がると「いやいや、舟で行きましょう!」と愉快そうに言ってくださったので水路での決行をお願いした。

3月15日、晴れ。
案内してくださったのは城(じょう)和生さん。同行してくれたのは、城さんを紹介してくださった佐々木康年さん、そしてアイターンの手塚沙織さん。

九重の集落から北山川に沿って少しだけ車で走ると、道路脇にバス停を発見した。
「百夜月」と書いてある。

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バス停のすぐ下は北山川で、あたりに人家などは全くない。車をとめて、河原に続く階段を下ってゆく。

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舟だ。

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百夜月に家をお持ちの方が、行き来するために使っている舟。所有者は城さんと同じ九重小学校に通っていた幼なじみの男性で、小学生の頃から舟で川を渡って通学していたという。百夜月には、その方のご両親が亡くなるまでお住まいだったとか。舟をお借りすること、敷地内を見せてもらうことなど、城さんが事前に了解を得てくださったそうで有り難い。

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川下のほうから水しぶきとエンジンの音が聴こえてきた。上流の瀞八丁(どろはっちょう)まで往復している観光ジェット船だ。
私たちを乗せた舟も、城さんに操られてゆるゆると動き出す。さすがに川育ち。櫂さばきもサマになっている。「モンベルのCMみたい♪」とわくわくしながら撮影。

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案内してくださった城和生さん

なのに、あっというまに対岸に到着。光梅寺のお堂は河原から少しのぼった林の中にポツンとあった。中は3帖ほどの広さで中央の棚には小さな仏像。お堂の前には、建物の跡のような土地が残っていたので、かの尼さんが庵を結んで暮らしていた所かもしれない。

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再建されていた光梅寺のお堂

周辺には庚申さんの祠や、中世を思わせる宝篋印塔(ほうきょういんとう・供養塔や墓碑塔として建てられる塔)、明治の年号を刻んだ墓石などがひっそりと…。永年にわたって人々の暮らしがあったことを、今に伝えているかのように。
物資は筏や舟で運ばれてきたし、人々の移動も舟。陸路がない集落でも、舟さえあれば不便ではなかったのだろう。

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庚申さんを祀る祠

前を流れる北山川は、もう少し川下で熊野川と合流する。熊野川は「参詣道」として世界遺産登録された世界で唯一の河川だが、かつて、川は確かに道だった。そういうことも、実際に歩いたり、舟に乗ったりしながら感覚的にわかっていくものなのかも。

下の写真は百夜月に一軒だけ残っている人家。

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家のすぐ横には小さな谷川が流れ落ちていて、深緑色の岩盤をキラキラ光らせている。この水があったから、人が住み着いたのかな。

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谷川を登っていった佐々木康年さん

「ここからアマゾンで本とか買ったら、配達してくれるんでしょうか」と手塚さん。
その横顔が紅梅寺の尼さんのように思えて、一瞬どきっとした。
夜ごとに舟を出したくなる気持もわかる。

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熊野の「狩女」こと、手塚沙織さん

(手塚さんは次回の「熊野びと」で登場いただく予定です)

熊野の伝説「百夜月」はこちら

 

投稿日:2014年3月18日
カテゴリー:みちとおと取材記
文:北浦雅子